キットデッキ開発
写真は1979年に製作した、日本最初のウッドデッキです。弊社の中川藤一前社長の豊中の自宅に設置しました。
材料は杉桧の間伐材です。当時はデッキと言う名前はなく、月見台と呼んで いました。木材を屋外の風雨に触れさせる構築物としては、昔からある濡れ縁です。しかし濡れ縁は木材を縦に利用します。しかし私達は木材を横にして利用したため、大工さんからは、木材利用の常識から外れると非難を浴びました。今ならデッキは当然横使いですが、当時は屋外に木材を利用するとか、このように使うことは木材業者では常識外れだったのです。
当時はデッキという言葉は日本ではなじみがなく、私たちはアウトデッキという名称で企画から施工まで行っていました。しかしウッドデッキという名が一番いいと判断し、1994年にウッドデッキの登録商標を出願しましたが、名詞(ウッド)と名詞(デッキ)の組み合わせということで、却下されました。その後1995年10月に自作用の「キットデッキ」を申請し、1997年7月4日受理され、当社のデッキの登録商標となっています。
上の斜め貼りしたデッキ写真は1980年施工、初期の住宅用ウッドデッキで防腐は米ツガ(ウエスタンヘムロツク)にCCA処理をしたものですこの処理は現在の日本ではほとんど見ることがなくなりましたが、非常に強力なものでした。(現在の防腐処理より強力です )
このころからCCA処理を施した木材の廃棄処理に問題提起がされました。防腐効果は強力なものでしたが、環境問題を恐れた日本の防腐処理メーカーは、六価クロムを含むCCA処理剤の使用をやめてしまいます。当時他の防腐剤で強力なものがなく、エクステリア工事に利用する木材に業者は悩みました。そのような時にカナダからウエスタンレッドシダーがデッキ材として大量に日本に入ってきました。この木は日本では米杉(ベイスギ)と呼ばれ、高級内装材に利用されていた木でした。カナダ、アメリカではエクステリア材として人気があり、耐用年数も15~20年という触れ込みでした。しかし結果的には北米と日本とでは気象条件などが異なり、日本での現実は7年から15年ぐらいです。当社のお客様で年に一度のメンテナンスで20年以上利用されている方もいますが。
当社や大手メーカーの施工、販売のおかげで、ウッドデッキというものが一般にも知れ渡ったのがこの時からです。
時代の流れとともに一般の方でウッド デッキを製作できるような時代が 到来すると予感し1993年より、キット デッキシリーズを発売しました。
キットデツキAタイプ タ゜ークグレイ色
>キットデツキAタイプ チークプラウン色
次の写真は最初の市販商品 「キットデッキAタイプ」で、カナヅチだけで完成することができる当時としては活気的なものでした。「ジョイフル朝日(関西)」、「
ロイヤルホームセンター(全国)」、「ユニリビング(関東 )」、「サンアイ(九州)」の4つのホームセンターから日本全国に発売しました。
その後、実際の設置問題やお客様の意見から、大幅に改良を加えたBタイプを発売しました。
この過程において、私たちは多くの 企画や試作から学び体験し、主に 2つの大きな結論を得ました。
キットデッキAタイプパンフ表面
キットデッキAタイプパンフ裏面、大きさの種類は6種類でした。
利用する木材は、国産材を利用できないのは残念なのですが、お客様に安心して購入して商品に仕上げるには国産材では無理と判断しました。(当社では公共工事のウッドデッキなどは桧、杉などの国産材も多く利用しています。)それでカナダ産のウエスタンレッドシダーを採用しました。
キットデッキBタイプパンフ表面<
キットデッキBタイプパンフ裏面 手すりの配置図を入れました。
ここで自作用デッキは中川木材産業という業界常識が定着しました。大手エクステリアメーカーやその後ウッドデッキメーカーになった業者様の来社見学は非常に多いものでした。
キットデッキ ラフパンフ表面<
キットデッキ ラフパンフ裏面 階段が標準でついています。
ウッドデッキの自作が広がると、お客様のニーズに応じて、とても簡単に設置できるミニ、強度のあるラフ、コストパフォーマンスの優れたウェブと五種類に広がりました。